絹の道&夢の旅 9日目
敦煌市 陽関遺跡


古代シルクロードの重要な峠で、漢の時代、元鼎帝の年に建てられ、玉門関は当時の西域への玄関口と同じでした。
陽関は歴史上重要な軍事と交通の意義があり、シルクロードの南は峠を通らなければならず、古来から西域への玄関口です。楊冠遺跡は豊富な歴史遺跡があり、例えば古代の楊冠遺跡、楊冠烽火石、首長城遺跡、漢長城塞壁遺跡などです。
漢代からの国境文化とシルクロードの繁栄を示しており、漢代の遺物を見学し、楊冠の歴史的背景と文化的意味合いを学ぶことができます。
楊冠は「一杯の酒を勧めよう、楊冠の外に西方の老人はいない」という詩で有名です。
敦煌市 玉門関&漢代の長城&河倉城


玉門関(ぎょくもんかん)
漢武帝の時代に設置され、西域各地へ通じる門戸としての役割を果たしました。
元鼎または元封年間(紀元前116年~前105年)に酒泉から玉門関間の長城が築かれた際に設置されたとされ、現在でも城垣が完全な形で残り、全体は方形をしています。面積は633平方メートル、城北の斜面下には東西方向の大車道があり、古代において中原と西域諸国を結ぶ重要な交通路でした。


漢代の長城(かんだいのちょうじょう)
河西地域の軍事防衛システムにおける重要な構成要素であり、西漢王朝が北方の防衛工事全体を構築した歴史を象徴しています。
敦煌地域に現存する漢代の長城は、最も保存状態が良く、最も長い距離を持つもので、学術的価値および観光的価値の両面で非常に高いものです。


河倉城(かそうじょう)
西漢時代に建設され、敦煌市の北西60キロメートル、ゴビ砂漠の中に位置しています。
東西方向に走る疏勒河(そろくが)の古道沿いの低地にあり、湖には水面が鏡のように平らで透明であり、東側には深く不明な沼沢地が広がっています。
その地形は疏勒河に近いため「河倉城」と呼ばれ、南北に広がる大戈壁(だいごび)の中に隠されており、その隠蔽性は極めて高いです。河倉城の近くまで行かない限り、この倉城を発見することは困難です。
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